この辺の島は、まだ海外旅行が高嶺の花で、沖縄も米軍が占領してて自由に行けなかった時代には、日本人が行ける最も南のリゾートとして栄えたんだよ。
車輪梅(テーチ木)を煮だした汁に絹を染めて赤色の下地を付け、タンニン酸を含ませる。
さらに鉄分の多い大島の泥田で染め、大島紬の黒が出来上がる。
鉄を蘇えらせる!→ソテツ!
泥田にソテツを入れておくことで、
鉄分が補充できるという!
自然の力をフルに活用した、大島紬は
まさに奄美大島の宝!といえる。
泥染めは、税の取り立ての厳しさからといわれる。奄美大島では、テーチ木で染めた織物を税として納めていた。しかし、これを取られることを良しとしなかった島民は、泥の中に埋めておいた。それを掘り起こしてみると、茶褐色に染めた織物は美しい漆黒に染まっていた。これがはじまり。
大島紬を染めるのは元々赤いタンニン酸と酸化してない鉄を使って独特の黒色を作り出すけど、鉄を含んだ土は空気に触れると酸化するから泥田にして酸化しないようにするとか、最初にこのやり方見つけて確立させたやつすごいよなw
タモさんも近江アナもとてもよくお似合い♡
あのよく見る柄は蘇鉄の実を表してるのかー。初めて知った。田んぼに蘇鉄の葉を入れて鉄分補給にしても、本当に蘇鉄が生活と共にあったのねー。
タモさんはただブラブラしてるわけじゃない、どこに行っても、ここは坂が多いとか平地が少ないな〜〜とか水はどこからかな〜とか考えがあっていつ問題出されても聞き手の人がさすがですね〜と\(^o^)/
そうタモさんは、いつでもタモさんらしい♪
平地が少ないため、斜面を段々畑にしてまでも、サトウキビを作った。
斜面に並ぶソテツは段々畑を補強するもの。
全てサトウキビ畑に変えられた。
黒糖地獄
薩摩藩が圧政で奄美の人を苦しめたみたいな感じになってるけど、サトウキビをやらなければ産業が成り立たなかったんじゃないかな。その前も産業ないから、貴重な砂糖の原料となるサトウキビを推進したと考える事が自然。
ここまでして奄美の島民に無理をさせたにも関わらずその蓄えは宝暦の治水工事で幕府によって放出させられ、さらにさらに幕末の薩摩藩を支える資金を生み出した。それは広く知られるべきだと思うよ。
奄美大島は従兄弟が住んでたから行った事がある。むち黒糖がその名の通りむちむちしてて超美味しい!黒糖が名産になってるけどその背景に薩摩による圧制があったのだと思うと悲しい・・・そして蘇鉄ほんと凄い
島津へ義務を果たすために自分達の食料畑を黒糖畑に変え、棚田の崩壊を防ぐためにソテツを植え、生きるためにその黒糖地獄に関係しているソテツの実を食べた。そのソテツのお陰で戦後の食糧難も乗り越えられた。なんとも切ない話やな。
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